2023年1月12日ー21日 ギャラリー檜C
 「写真」のとても短い歴史は撮るに値するものを撮影し残す、という呪縛に似た使命を 担わされて純粋に単なる「写真」として差し出されることを困難にしてきた。 成立するために被写体の存在が必須となる「引用メディア」である写真が被写体自体の 発露表現を代行するような写真ではない、自明のものとしての写真を提示してみる。 そして「風景」「風景写真」とは何か、それら「写真」が指し示すものはいったい何な のか。海辺の小集落から取材し、その風景を仮借しながら「写真について考える写真」を 展示する。
撮影地:天領黒島地区 石川県
正午はトップライト。 あらゆる影もハイライトも均等に現れ。 真の写真の有り様を曝露する。 どちらにも拠ることはない。
〜お前は何者なんだ!おお、おれの魂よ! (ここでツァラトゥストラは驚いた。 太陽の光線が空からツァラトゥストラの顔に落ちてきたのだ) 「おお、俺のうえの空よ」と、ため息をつきながら言って、まっすぐにすわった。 「俺のことを見てるのか?俺の奇妙な魂に耳をすませているのか? この地上のすべてのものに落ちてきたこの露を、いつ飲むんだ? この奇妙な魂をいつ飲むんだ? 永遠の井戸よ!明るい正午の、ぞっとするほど深い谷であるお前は、 いつ俺の魂を飲んで、お前のなかに戻すのか?」
ニーチェ ツァラトゥストラ 丘沢静也訳
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