瑞穂之御国

 

[普] Fu :everywhere 古軸 泉

昨年の禅語カレンダーの3月のページにはこの [普]という言葉が書かれていた。それは 亀岡東光寺の寶積玄承老師の墨蹟。大意は禅の悟りについてー「〜いったい禅の悟りと はそのようなものであり、それはまた、どこに在るのだろう。それは特別なものではな く、又、特定なところだけに在るものではない。どこももかしこも見渡す限り仏様でい っぱいなのだ」。 私の2011年3月の日記には[普]とは何だろうと書かれていた。そして、3.11が起こ った。 1年経った今も行方不明者が多数存在し、「原発事故」により移動を余儀なくされ、従 来の[普]からは別の[普]を過ごしておられるかたも多数存在致します。困難な作業に従 事されていらっしゃる方々も。 「事故」前、コノ国では、今のこのような有様はブラックジョークとしか考えられてい ないふしがありました。私はこのきっつーいジョークの[普]にいます。しかし、コノ国 の現実です。それも、これも[普]です。 上記の老師の言葉の引用で「悟り」:Enlightrnmentは”表現”、”福”、”生”などいろいろな 言葉に置き換える事も可能です。そして、表現も個により様々な[普]があります。 どこにいても、Enlightrnmentは在る事を信じます。

ドゥルーズとガタリ共著、20世紀の哲学奇書?『資本主義と分裂症 千のプラトー』 では、(私はこの本を全く読めてない事をおことわりしておきます。ほぼ毎日、おみ くじを引くようにつまみ読みをしているのです。)「〜 人称や主体、あるいは事物や 実態の個体化とはまったく違った個体化の様態がある。われわれはこれを指して<此性 #>hecceite՛と呼ぶことにす る#。ある季節、ある冬、ある夏、ある時刻、ある日付な どは、事物や主体がもつ個体性とは違った、しかしそれなりに完全な、何一つ欠けると ころのない個体 性をそなえている。〜」とある。 いつでも、どこでも、いくらでも、<此性>あるいは[普]が存在する。 6月のギャルリーソレイユの[普]を激烈に楽しみにしている。

スクエア25 8th “普 everywhere” 2012.6.4-9 ギャルリーソレイユ

展示:スクエア25 8th “普 everywhere” 2012.6.4-9 ギャルリーソレイユ